清水谷製錬所跡とは
かつて世界の銀の1/3以上を生産していた石見銀山を支えた鉱石の精錬所跡。着工は明治時代に入ってからで、当時最先端の技術を駆使して作られました。鉱山の操業自体は下火になっていたものの、間歩の金銀含有率に着目して建造されました。実際は予想以上に鉱石の質が悪く10年と少しで廃業してしまいますが、現在でもその進んだ技術を残された石垣から窺い知ることができます。周辺には梅の木が多数植えられており、春先には梅の名所として多くの人に親しまれています。
清水谷製錬所跡での遊び方
世界遺産石見銀山の採掘の中心、銀山地区。かつて20万人もの人々がここで暮らしていました。閉鉱とともに彼らは姿を消してしまいますが、今なお多く残る寺社仏閣から、当時の様子を窺い知ることができます。この清水谷精錬所跡のすぐ近くにも真言宗の清水寺があります。最大規模を誇る間歩、大久保間歩のある仙ノ山の頂上にかつてはあったと伝えられ、銀山や採掘に関わる人々から絶大な支持を集めていました。他にも鉱山の神様を祀る佐毘売山神社や鉱山で亡くなった人を祀る五百羅漢寺などたくさんの寺社がこの近くにはあり、寺社仏閣好きにもたまらないエリアとなっています。高齢化や人口減少で住職や神主のいない寺社もあるので、御朱印をいただく際にはご注意くださいね。
全アクティビティを見る↓
島根ツアーズ